エレミヤ44;11-19 今日の聖書箇所は、どうどうと「天の女王に偶像礼拝」をして、「神様の言葉」に従わないという宣言をする人々が、出てきます。しかも、夫婦同伴で偶像礼拝をしていることを知っており、神様の前に罪を犯している、という意識も無く、自分が偶像礼拝をしている時に、「自分は大変なことがおこらず、まことの神様のを礼拝しても何も無い、また偶像礼拝をしていることへの罪意識もありません」
はたして、わたしたちの、わたしの信仰はどうでしょうか?
①日常の苦しみを助けてくれることを頼っていないでしょうか?
②その苦しみは、はたして自分の罪から、不従順からきたことを言い訳にしていないでしょうか?
また、そのような人からの言い訳や現実への言葉にだまされていないでしょうか?
③偶像礼拝や不従順の罪を悔い改めているでしょうか?それを堂々と従わずに、しかも夫婦同意のもとに行うことに神様への恐れがあるのでしょうか?
④夫の霊的なリーダーシップを覚えます。それは、妻の罪を正すことです。
神様の前に恐れ、まず私が従います。そこから、神様にあるリーダーシップがあることを信じます。