坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 8月 12, 2010

憎しみや私心が動機か?愛が動機の指導者か?

エレミヤ40;13-41-10
ユダの残された指導者であったゲダルヤでしたが、イシュマエルの暗殺計画により、殺されてしまいます。それは、暗殺計画があるにもかかわらず、その助言をくれた人を信じなかったのです。回復のために備えをし、神様の民を立てなおうそうとした人も、霊的な緊張感やわずかな隙から神様のプロジェクトを成し遂げることなく、殺されたしまったのです。この世の中には、何故?ということがあります。大切な指導者を失うこともあります。わたしにとって、分からないこともあります。しかし、今日の暗殺をおこしたイシュマエルは彼の動機は、神様からの指名でもなく、民への愛でもなくて、ビジョンでもなくて、人への嫉妬や、怒り、復讐からでした。それは必ず、滅びるときが来ます。自分の思い上がりが生んだ共同体への、神様への殺人事件であり、罪でした。わたしの動機はどうでしょうか?また、主の働きを完成させるために霊的な緊張感を持っているのでしょうか?神様への恐れを持っている指導者でしょうか?また、神様へのビジョンをもって大胆に奉仕しているのでしょうか?主の臨在の仲で奉仕します。