坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 8月 22, 2010

主だけに頼る覚悟が出来たか?

エレミヤ46;1-12イスラエルの民は、再度エジプトに逃避しようとします。それは、以前にも宗教改革をしたヨシヤ王の時代にもあり、大事な主の器であるヨシヤ王がそのために殺される事件が、損失がありました。それにも関わらず、バビロンが神様の裁きの器としてイスラエルをさばくことを預言者を通して何度も語られつつも、その実際の結果を何度も見つつも、イスラエルの民は悔い改めることをしません。そして何よりも、彼らが神様を知らない民でなくて、クリスチャンであり、一応神様の声を聞こうとしているのです。しかし、神様の声を聞いても、自分の考えや、経験が伴わないと従いません。自分にとって都合のいい言葉を聞くときは喜んでもてはやし、聞きます。はたして、わたしは神様の声を聞くときに主だけに頼り、主だけを神様とする決意が出来たのでしょうか?主は、それでも裁きを通して、イスラエルの民に語られたのです。普通ならば、言うことをしない相手なのに語ってくださったのです。主の愛に感謝します。主だけに頼ることと、そして自分の経験にそぐわなくても、従います。また、聞かない相手にも語っていきます。ハレルヤ!このアメリカで全世界で主イエスだけに頼ります。