坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 8月 14, 2010

神様の道とすべきことを求めているか?

エレミヤ42;1-6
残された人たちは、エレミヤのところに行きます。それは、残されたものの使命として「神様の道」と「なすべきこと」を求めていった姿でした。何故、はじめから神様の声を聞かないのでしょうか?人間とは、まさに人間のわがままな姿であり、勝手で、おろかな姿です。それは、わたしの姿です。しかし、驚くべきことはそんなわたしたちを受け入れてくださり、受け入れてくださり、ゆるしてくださることです。愛してくださり、その新たな道を用意してくださることです。幸いなことは、「自分にとって良くても悪くても」神様の声に聞き従うことが「わたしたちの幸い」であることが分かったことです。そして、主イエスご自身がわたしたちの関係の証人です。これ以上確実な証人が何処にいるでしょうか?神様の言葉を実行して行います。神様の声を求めて歩みます。聖書をもっとむさぼるように読みます。