わたしの心は混ざり物が無いか?
エレミヤ19;1-6神様は、バアル偶像に捧げた谷に向かって「思いつきもしない」ことだといわれ、徹底的な裁きを行われます。今日、わたしに与えられた恵みは神様を礼拝しながらも、他の偶像に仕えたイスラエルの民のように、混合宗教生活がある危険を思いました。それは、
①遠い宗教儀式でなくて、わたしの心の中に、悪魔にこの世の霊に持っていかれてる、ものや、偶像がないかと言うことです。神様以上に頼るものが無いか?ということです。②神様に礼拝をささげないなら、この世に自分の関心や時間を持っていかれます。③神様を礼拝しているから、他の罪を犯しても少しは大目に見てくれるだろう、という考えがあります。そんなことはありません、神様は純潔な方であり、恋愛関係のように自分だけを愛する喜びをお互いに享受する関係なのです。④まことの礼拝の一番の問題は、30%、50%の礼拝、従順です。それは無いのです。100%の悔い改め、100%の礼拝なのです。
わたしの心は、人生は、生き方は混ざり物が無い人生でしょうか?それとも、宗教生活をしていて礼拝をしたから、他のこともしていい、多少は見逃してくれる、と思う人生でしょうか?礼拝以外の他の時間は別、ということでしょうか?神様以外に愛しているものは無いでしょうか?神様への愛を持って一日を過ごします。
ラベル: エレミヤ
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home