自分の現実を知れる謙遜は祝福になる
エレミヤ8;1-12
誰もが、自分の現実を認めることを喜ぶでしょうか?成功しているうちは、喜ぶでしょう。また、自分のいい部分だけを言って貰えるのは喜びでしょう。しかし、自分の過ちや罪や失敗や足りない部分を指摘されるのは嫌がります。また、何よりも相手を恨み、傷つきます。そこには、真の悔い改めや回復がありません。ただ、自分の仲の恨みや傷があります。今日の聖書箇所には、南ユダ王国の政治的、社会的、宗教的なリーダーたちの死んだ後に、彼らのしたことの報いや辱めがあることを示します。それは、神様を離れていき、神様の警告にも関わらずに、罪から離れずに、神様から離れたままでいたのです。私たちの人生に、私の人生に、神様の言葉に素直に自分の姿を悔い改める心があれば、どれほど感謝なことでしょうか?死んでからも、攻められるような人生でなくて、生きていたときには、人の目があって誰も言わないでいた真の姿のために、神様の声を無視して生きればよかったのが、実の姿を見せられたときに、誰も何も言ってくれない、そんな中で生きて、むなしい、後にまで悪い影響を残すよりは、神様の声に、状況を通して、御言葉を通して、神様の前に素直な、人の前に素直な人生を歩むことを祈ります。主の前に、人の前に悔い改めます。主よ、ひごとに愛を持って教えてください。
ラベル: エレミヤ
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