坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 4月 18, 2010

神様の言葉はそしりか?愛か?

エレミヤ6;1-15
神様の言葉は、時に厳しく、痛みを伴うことがあります。あんまり聞きたくないと思うことがあります。罪を指摘されることが、人間にとって嬉しいことでなくて、自分の言い訳や言い逃れをすることに始まるからです。しかし、神様の指摘や厳しい言葉は、回復のためであり、わたしにとって愛の回復を望むからです。そして、それは神様の愛と赦し、を前提にします。神様はそのために既に主イエス・キリストを十字架に掛けてくださいました。そのことを聞いているでしょうか?また、それとも自分の反対や自己防衛に走っていないでしょうか?もしくは、その神様の愛を伝えているのでしょうか?厳しいことを言うのを誰もが嫌がります。逆恨みされるし、多くの人の反感を買い、人々から喜ばれることでないからです。しかし、今日のみ言葉1節「のろしをあげよ!」とあります、災いの時に神様からの警告を宣言しているのでしょうか?神様の愛を受け取っている人として、悔い改めがあり、その神様の愛を伝えているのでしょうか?のろしをあげているのでしょうか?わたしはこう黙想しました。神様の愛のメッセージを、祈り会を持ってスタートして、伝えていきます。

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