坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 4月 21, 2010

神様の神殿に仕えながらも、’無視するクリスチャンライフ

エレミヤ7;12-20
神様の神殿で仕えながらも、神様の呼ばれた場所であるシロにいながらも、罪を犯す非常識が今日のエレミヤを通してのメッセージです。それは、ノンクリスチャンへのメッセージではありません。クリスチャンが今風に言えば、教会に通いつつも、犯している罪について指摘されます。人間としても、クリスチャンとしても、神様の言葉を聞きながらも反対の行動や生活をしていることに指摘されます。神様を信じながらも、神様の言葉を知りながらも、信じるといいながらも、反対の生活を送る、妥協の生活を送る、ことへ指摘されます。しかも、それは「しきり」に「たえず」の神様の熱心な指摘なのです。それは、神様の愛からです。あきらめない愛です。わたしはその愛を聞いて悔い改めているのでしょうか?また、その愛で人に接しているのでしょうか?本当に心が試されています。自分の怒りをSTOPできないでいるのでないでしょうか?神様のしきりに、絶えず声を掛けられる愛に悔い改めていきます。

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