坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 4月 01, 2010

人生を完了させるのは愛

ヨハネの福音書19;23-30
主イエスは、十字架にかけられたときに、ご自分の着物が分けられたり、くじ引きされる、屈辱にあいます。それは、どんな辱めだったことでしょうか?それは、先日のQTにあったように、詩篇22編の成就でした。辱めを受けること、それを黙って受け取ることも、主イエスの使命でした。しかし、その使命の根底にあるのは主イエスの愛でした。神様への愛であり、人間への愛であり、私への愛でした。イエスに最後までついていった女性たちは、イエスを最後まで愛されました。そして、イエスもご自分が死ぬ最後の瞬間、何もできないはずの瞬間に、一番自分が余裕が無くて、それをだれも文句の言うことの無い瞬間に、母や女性たちや弟子たちを愛されました。ヨハネに向かってイエスの母を託されたのです。今日のQTから学べることはなんでしょうか?
1:愛が人生を完成させることです。イエスの十字架は愛を持ってなされたことであり、従順なのです。それは、関係です、神様と私とイエス様の愛の関係なのです。
2:愛するとは、最後まで愛することです。途中で投げ出すのが私たちですが、イエスの愛は最後までです。それは、相手のために命を投げ出すことでした。それは、変わることが無く、永遠の愛です。主イエスの愛を賛美します。責任を持った愛を持ちます。
3:愛とは、自分を明け渡すことです。自分の主張や、意見でなくて、願いどおりの相手でもなくて、お渡ししていくことです。神様にお任せすることです。それは、現実的には相手に明け渡すことでもあります。
4:私に与えられた使命とは、仕事でなくて、愛の関係なのです。愛をなしていくことがそれ自体が使命なのです。人間は勘違いして、仕事や成果をなそうとします。しかし、愛を持っていくところに神様の奇跡が起こります。十字架の奇跡が全世界の運命を変え続けています。その人生を変える主イエスの十字架の愛で生きます。