坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 3月 30, 2010

自分が否定される意味を知っているのか?

イザヤ52;13-53;6
主イエスの栄光は、驚きの栄光でした。当たり前の栄光でなくて、想像できない栄光でした。それを捨てて、主イエスは私のとがのために、罪のために、私を愛してくださって、その権利を、権威を、その尊厳を捨てられました。私たちは自分が受け入れてもらえないときに、どれほど傷つくことでしょう。どれほど、腹が立つことでしょう。しかも、今まで持っていた尊厳を、人から驚かれている栄光を捨てて、生きることはなんと難しいことでしょうか?しかも、それが自分過ちのためにそうなったと誤解されることはどんな気持ちでしょうか?今まで自分を尊重し、あがめた人が、彼の失敗のためにそうなった、と思うのです。しかし、それは私のためでした。今日、私が尊重されなくても、イエス・キリストの十字架によって歩んで生きます。

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