何のための受難か分かると
詩篇22;1-21
苦難を受けることは、喜びを持つことが難しいことです。もちろん、苦難そのものを自ら受けようとする人はいないでしょう。また、人のために苦難を受ける人もいないでしょう。しかし、ただ唯一の救い主は自ら苦難を受けられました。それも、わたしの罪のために受けるべき苦難を受けられたのです。そのために、わたしは主イエスの十字架によって赦されて生きているのです。主イエスは苦難に勝利された方です。私たちの人生のロールモデルです。苦難を通して、得る教訓は何でしょうか?それは、苦難にあってわたしは神様の側にいようとしているのか?ということです。苦難も神様の側にいて、受ける苦難は意味があります。また、神様のみ心があり、必ず勝利できます。しかし、苦難の中で神様の側にいるのか?それとも、罪の中にいるのか大きな違いです。または、自分の力で生きようとしているのか?自分の力で解決していこうとしているのか?大きな違いです。主の御心が何か自分の自由を縛る怖い神様という感じであるならば、本当に難しいでしょう。しかし、神様の愛と最善の計画を信じるなら、神様のMSTER PLANを信じて苦難を乗り越える「わたしの力なる種を頼り、その力を受ける」ことができます。今日、神様にあって立ち上がります。苦難に神様のMASTER PLANを信じて、立ち向かいます。ハレルヤ!
ラベル: 受難週
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