坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 3月 24, 2010

私の人生に主を認めるしかない告白をしたか?

ヨナ1;11;17
ヨナの乗った船は、嵐のために沈みそうになりました。そこで、人々は何とか「港につけようとします」私たちの人生で嵐や苦難に出会うときは、何とか自分の力でしようとします。しかし、どうしようもできないときに、ノンクリスチャンである彼らか「主よ」という告白とささげものが出てきたのです。果たして、ヨナを海に投げ入れてから嵐は静まりました。この嵐は、私たちの人生や生き方に「主でないとできない、主がいないとダメだ、私の人生の主人、舵取りは主イエスだ」と告白させる事件です。告白させるのは、神様の深い愛と配慮によるものです。まことの人生、正しい方向へ向かわせるために、神様の下さった最善、すばらしい人生を、使命のある人生、働くことができます、主なる神はヨナを死なせることなく、肉体が支配する人生でなくて、主の霊によって生きる人生を与えるために、大きな魚を用意されていました。主なる神様の作られる人生を期待して、従い歩みます。いまだに見えなくても、神様の用意された愛を期待して進みます。

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