坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 3月 05, 2010

苦難を覚悟しているのか?

ヨハネの福音書15:18ー16:4
この世にあって主イエスの弟子たちは、迫害を受けます。それも、内部からの攻撃を受けることがあります。はたして、私は主イエスの弟子となることを願っても、迫害までも覚悟しているのでしょうか?それとも、日常生活の中では別にして生きているのでしょうか?キリストの弟子として本当に生きるなら、迫害を受けることが当たり前なのです。もしも、迫害が全く無いというのなら、どこかで自分を偽り、妥協している部分があるのかもしれません。心刺されることです。しかし、主イエスの弟子を拒むむものは父なる神様を拒んでいるのです。はたして、私は主イエスの弟子として迫害を喜んでいるでしょうか?もしくは、主イエスの弟子を私と違うからと拒むことが無いでしょうか?経済的なこともあるかもしれません、また人間的な立場もあるかもしれません、しかし、初代教会は迫害の中で成長し、宣教し、伝道していきました。

ラベル: