坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 11月 12, 2009

八方ふさがりの時にどうするのか?

第二歴代誌16:1ー14
アサ王の第36年目に、イスラエルの王によって(よりによってイスラエルです)誰も出入りできないようにラマを築かれて、アサ王は困りました。そこで、アラムの王に助けを求めました。助けを求めることが悪いことでありません。しかし、神様に助けを求めることなく、主を求めることなく、主のアイデァによるのでなくて、アラムに助けを求めました。しかも、主の宮にある金や銀を出して、人に賄賂を送って苦境を脱出しようとしました。神様のものを、神様にささげたものを、わざわざ出して、しかも外国の異邦人の王の力に頼ろうとしたのです。今までの主の助けによる奇跡を見ながらも、八方ふさがりの状況だけを見て、神様の計画を見ようとしなかったのです。アサ王の最後は、病気になっても神様を求めなかったとあります。医者を求めたとあります。医者を求めるのが悪いのでなくて、神様と共に求めないことが悪いのです。果たして、私の計画やビジョンは神様を求める、神様の方法でしょうか?それとも、人間的にがんばっているのでしょうか?人間的な方法でなくて、神様を求めていきます。