坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 11月 16, 2009

神様の声を聞くなら、従う準備が出来ているのか?それとも逆恨みをするのか?

第二歴代誌18;12-27
今日の聖書箇所は、400人の預言者が「戦いの勝利」を語ります。しかし、それは耳障りのいい言葉で、真実ではありません。真実とは、時に嫌多くの場合聞きたくない、難しい、自分のしたくないことが多いのです。そして、真実を言う人に怒りを落としたり、逆恨みをすることが多いのです。そこには、真実を言う預言者であるミカヤがただ一人いました。アハブ王は自分に嫌なことを言う人を遠ざけました。逆に、ヨシャパテは「神様のみ心」を求める人を探しました。そこで、ミカヤは恐ろしいことをいいました。それは、主なる神様自身が「惑わす霊」をお許しになり、預言者たちが真実を言わなかったことです。それは、神様の裁きが下るためでした。果たして、私の心は真実を聞いたら、神様の声を聞いたら、従う準備があるのでしょうか?神様は、ヨシャパテの従う心と神様を信頼する試みて、救いの手を伸べました。しかし、アハブ王はミカヤを恨み、偽預言者は、カレの頬を殴りました。昨日のQTの逆な適用です。自分にとって反対の言葉を言っても、真理をつかれても受け入れる準備が出来ているのでしょうか?かみさまの真理が語られたのは、愛です。回復のあるチャンスだったのです。真理を語るお付き合いをしているのでしょうか?真理を語られる友人を持っているのでしょうか?神様の声を聞くお付き合いをします。かみさまとそのように交わりをしていきます。