坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 10月 12, 2009

愛の無い律法はカレールーの入っていないカレーだ

ガラテヤ5;13-26
昨日、教会礼拝が終わって交わりをしていた時に、みなで食事をしていたことのです。食事の献立は、カレーでした。ある姉妹がカレーってすごいよね、料理の材料をどんなにいい加減に切って入れてもカレールーさえ入れればカレーになるもんね、という話をしていました。ずいぶん件そんな話でしたが、朝QTをしていた時に、気がついたことがありました。どんなに素晴らしい律法による行いをしても、努力をしても、善行をしても、人からの評判が良くても、人からの賞賛があっても、愛が無いなら全く本質の無いものになると思わされたことです。昨日も少し書いたように、律法は行いに焦点をあてていて、その心の動機を問われることはありません。しかし、恵みは心の動機が問われます。愛によって働く信仰によるのか?神様が喜ばれること、神様に栄光を返すこと、他の人が神様の愛によって益を受けるのか?それとも、自分に栄光と人気と返すのか?自分が審査員なのか?問われます。御霊の実は明らかにその内容を行いの内側を見せます。カレールーの入っていないカレーは食べれません。私の人生、生き方は何が入っているのでしょうか?神様の力、霊によって歩めるのでしょうか?気をつけないと、毎日の歩みのうちに徐々に知らないうちに落ちる危険性があります。御霊によって始まり、歩み、完成される人生を目指して生きます。