坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 9月 06, 2009

CRAZYに礼拝をささげる人をよろこばられる実様

第一歴代誌15:25-29
ダビデが、神様の箱をエルサレムに運びあげたときに、イスラエルの民たちは「歓声をあげ」て、喜びました。そして、ダビデは「飛び跳ねて、喜び踊っている」ということをしました、神様を喜ぶことは、また礼拝する喜びをどれほど知っているのでしょうか。また、どれほど礼拝することの価値、神様を喜んでいるのでしょうか。逆に、私をどれほど神様は喜んでくださっているのでしょうか?どれほど、私のために苦しみ、愛し、そのような私が十字架によって戻ってきたときに喜んでくださったのでしょうか?それを知っているのでしょうか?しかし、今日の礼拝の狂う人々に笑う人が居ました。それは、「サウルの娘ミカル」でした。それは、ダビデの王妃であるミカルとして紹介されませんでした。どういうことでしょうか?神様を礼拝することのモデルだったダビデと違い、サウル王は礼拝者としてセイコウしていませんでした、自分を守る、利用するものとさえしたのです。その娘ミカルは礼拝の価値を知りませんでした。また、何よりも自分の主人であるダビデが礼拝することを理解できなかったのです。果たして、私は自分のことを喜んでくださる主イエスを狂うほどに喜んでいるのでしょうか?また、自分の理解者であるべき家族、配偶者が同じように霊的な一致や心を持っているのでしょうか?私と私の家族は主に仕えうるのでしょうか?主にある一致を目指して今日のセミナーに参加します。