坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 8月 29, 2009

神様の国のチーム構成員は、自分の苦手な人も居る

第一歴代誌12;1-18
今日のダビデと共にイスラエルの国を建てて人々のリストは、昨日のリストと別に1:サウルの同族からツィゲラクに隠れている状況に来た人が居たり、2:ガド部族の人たちが荒野の要害に居たときに来た人たちが居たり、3;ベニヤミンとユダ部族から要害に来た人々も居ました。何故、このリストは昨日の聖書本文と別に書かれたのでしょうか?それは、メインストリームの信頼できる人たちと違い、後から来た、また信頼しにくい、扱いにくい人々であったからです。特にユダ部族からも裏切られたことのあるダビデは、3のメンバーが来たときに「私を助けに来たのか?そうでないなら神様の裁きがあるように」と言います。共に居る人は仲良くありたいものです、また何よりも信じられる人々でありたいものです。今まで信じられない人や、未知数の人と自分の運命をかけて生きるのは難しいものです。しかし、教会と言う共同体、神様の信仰の共同体はそうであってはありません。それは、御霊による和解と信頼の回復があります。御霊による平安な関係があって共に神様の国チームとして仕えることができます。御霊がアマサイを捕らえたとあります。もしかしたら、それまでアマサイには不利な状況であるためにダビデにつくようなことがあったのかもしれません。しかし、御霊がその瞬間働いてくださったのです。今日、神様にある信頼関係と、教会の共同体に神様のチーム作りをしていくメンバーを得ていきます。私の苦手な人や信頼できない、新しい人共に仕えて生きます。御霊の働きがありますように。