坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 9月 01, 2009

神様が私と共に住むと幸福だ

第一歴代誌13;9-14
神様の箱をエルサレムにお迎えしようとして、牛が揺らしたことを見て「ウザ」が割り込みをします。それは、本来祭司が運ぶべき神様の箱を、違う人が運んだために、神様の怒りが臨んだのです。神様の箱を落とさないようにしたのは、人間的には間違いがありませんが、神様の箱は人間に支配されたり、守られないと駄目なものではありません。ここから私たちが学ぶべきことは
①神様を礼拝をするのに、単に人間的な情熱や人間的に任せられる人選をするのでなく
②神様の言われた方法で、立たされた人が仕えないといけません
③今までの人間的な伝統や教会のやり方、自分のやり方にこだわってはいけません
④神様の前に空っぽの心で無いといけません
⑤何よりも、神様は私を必要としていないのに、必要として愛してくださった、聖いものとして出て行く必要があります。それは、どこまでもイエスの十字架の血によるものです。
⑥ガテ人の家にとどまることになった神様の箱はその家族を祝福します。ガテ人とは外国人のはずです。外国人の家をも祝福される様子は、本来神様を神様とするときに、私が創造物である人間のポジションに居るときに最大の祝福をもたらします。神様の前に清い人生を持って、神様の臨在をお迎えする、備えられていく今日を歩みます。