神様の作ってくださった人生か?自分が像に作らせる人生か?
ミカ5:10-15
今日のQTで、神様は「あなたの中にある要塞、馬、戦車」を壊すと言われます。それは、人間の頼るすべてのもの、神様以上に頼る偶像について手放すようにと言われるのです。また、あなたの中にある「呪術師、占い」をなくす、と言われます。さらに、あなたの「アシュラ像、もう自分の手で作った偶像を拝まない」と宣言されます。どういう意味でしょうか?私は偶像を持ったことがありません、作ったことがありません、と思うのでないでしょうか。また、アシュラ像は無いですよ、ということが無いでしょうか。どういう意味で、神様は私に語られるのでしょうか。偶像は自分の思い通りに人生を生きて、まことの神様の代わりに私の人生を保障させようとするものです。人間には自分の思い通りに、わがままに行きたいものですが、それでは不安に陥るものなのです。ですから、神様を偶像を自分で作って拝むのです。自分の思い通りの人生、いやわがままな人生を歩ませるのが偶像作りなのです。また、アシュラとは多産、豊穣を約束し、性的な快楽をもたらす偶像です。それを正当化する宗教なのです。果たして、そこに創造のときに神様が願われて、愛された私たちの姿、神様に似せて作られた姿があるのでしょうか。神様の最高に素敵で、カッコいい人生とその計画は壊れてしまっているのです。神様が偶像を壊す介入は捌きであり、大きすぎる愛です。その神様の愛の前にひれ伏すのでしょうか。神様の愛にある計画を受け入れるのでしょうか。それとも、自分で作った偶像による人生を歩みたい、と拒否をするのでしょうか。神様は私に最高の人生を下さることを信じたいと思います。今の安定した楽な目的の無い人生でなくて、神様の目的にある人生を歩みます。
今日のQTで、神様は「あなたの中にある要塞、馬、戦車」を壊すと言われます。それは、人間の頼るすべてのもの、神様以上に頼る偶像について手放すようにと言われるのです。また、あなたの中にある「呪術師、占い」をなくす、と言われます。さらに、あなたの「アシュラ像、もう自分の手で作った偶像を拝まない」と宣言されます。どういう意味でしょうか?私は偶像を持ったことがありません、作ったことがありません、と思うのでないでしょうか。また、アシュラ像は無いですよ、ということが無いでしょうか。どういう意味で、神様は私に語られるのでしょうか。偶像は自分の思い通りに人生を生きて、まことの神様の代わりに私の人生を保障させようとするものです。人間には自分の思い通りに、わがままに行きたいものですが、それでは不安に陥るものなのです。ですから、神様を偶像を自分で作って拝むのです。自分の思い通りの人生、いやわがままな人生を歩ませるのが偶像作りなのです。また、アシュラとは多産、豊穣を約束し、性的な快楽をもたらす偶像です。それを正当化する宗教なのです。果たして、そこに創造のときに神様が願われて、愛された私たちの姿、神様に似せて作られた姿があるのでしょうか。神様の最高に素敵で、カッコいい人生とその計画は壊れてしまっているのです。神様が偶像を壊す介入は捌きであり、大きすぎる愛です。その神様の愛の前にひれ伏すのでしょうか。神様の愛にある計画を受け入れるのでしょうか。それとも、自分で作った偶像による人生を歩みたい、と拒否をするのでしょうか。神様は私に最高の人生を下さることを信じたいと思います。今の安定した楽な目的の無い人生でなくて、神様の目的にある人生を歩みます。
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