坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 8月 17, 2009

本物か偽者か見分けるには神様との一方通行かコンタクトにある

ミカ3;1-12
今日のミカ書は指導者の堕落と、宗教的指導者である預言者たちの不正と金銭における不潔、わいろ、その罪が書かれています。彼らの最も恐ろしい罪は、「金銭的な堕落、性的な堕落」などもありますが、それよりも何も「神様を私の中に居る」といううそをつくことです。宗教的な罪は恐ろしいものがあります。しかし、何よりも7節「神様からの答えが無い」ことです。彼らは周りにも、自分にも嘘をつくのです。神様が自分の中に居ると。そして、神様がこう言うと言うのです。偽者は、神様との関係がありません。それは、宗教であるならばそういうことがあるかもしれません。しかし、キリスト教は関係の宗教です。命の関係です。主イエスに会って霊的な命を得た、永遠の命を得た関係です。ですから、クリスチャンは主イエスを信じてそれで終わりでなくて、神様との交わり、関係が日々あるはずです。日々、お互いのコミュニュケーションを持つのです。そして、自分の思い込みでなくて日々私へ神様が語りたいと思っていることを聞く喜びがあるのです。本物は神様との相思相愛のコミュニュケーションがあります。そして、そこから神様の声を語るのです。
また、今日のQTには大事な指導者のために祈る、ことがあります。社会全体の指導者が間違えると大きな影響力があります。教会の霊的な指導者が倒れると教会がきしみます。霊的な指導者のために祈ること、そして現代の腐敗した社会において「迫害を恐れず、立ち上がる指導者が必要」です。そのためには、神様との相思相愛のコミュニュケーションを持っている人で無いといけません。神様との祈りを持って一日をスタートします。

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