坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 8月 16, 2009

清い人生の中に神様のはかり綱がある

ミカ2;1-13
1節に「寝床を汚す」悪を行うものとあります。性の乱れは、生き方の乱れと言います。寝床の上で悪を行うとは、私の寝床は、私の夫婦関係は、清いものでしょうか。いや、結婚していなくても神様の新婦として、男性として清い人生を歩んでいるのでしょうか。また、人としての正しい関係を持って歩んでいるのでしょうか。神様は私たちを用いたくても、清い人生を歩んで神様と一緒に歩んでいなければ、用いることができません。それは、神様の栄光を汚さないためであり、その人が神様の仕事をすることでかえって、高慢になったり、勘違いして、滅びないためでもあるのです。神様は私たちを用いたいと思われます。しかし、穢れがあっては神様と一緒に居ることはありません。それでは、神様の働きをすることができません。神様と共に居る人に神様の働きは来るのです。今日の礼拝に奉仕の前に神様と共に歩みます。