その時を期待できる理由
詩篇78:56-72
それなのに,彼らはいと高き神を試み,神に逆らって,神のさとしを守らず, もとに戾って,彼らの先祖たちのように 裏切りをし, たるんだ弓の矢のようにそれてしまった. また彼らは,高き所を築いて神の怒りを引き起こし,刻んだ像で,神のねたみを引き起こした. 神は,聞いて激しく怒り,イスラエルを全く捨てられた. それで,シロの御住まい,人¿の中にお建てになったその幕屋を見放し,御力をとりこに,御榮えを敵の手に, ゆだねられた. 神はまた,御民を劍に渡し,ご自分のものである民に對して激しく怒られた. 火はその若い男たちを食い盡くし,その若い女たちは婚姻の歌を歌わなかった. その 祭司たちは劍に倒れ, やもめたちは泣き悲しむこともできなかった. そのとき主は眠りから目をさまされた. ぶどう酒に醉った勇士がさめたように. その敵を打ち退け, 彼らに 永遠のそしりを與えられた. それで, ヨセフの天幕を捨て, エフライム族をお選びにならず, ユダ族を選び,主が愛されたシオンの山を,選ばれた. 主はその聖所を,高い天のように,ご自分が永遠に基を据えた堅い地のように,お建てになった.主はまた, しもべダビデを選び,羊のおりから彼を召し, 乳を 飮ませる雌羊の番から彼を連れて來て,御民 ヤコブ とご自分のものである イスラエル を 牧するようにされた. 彼は,正しい心で彼らを牧し,英知の手で彼らを導いた.
神様が逆らうイスラエルの民を裁かれ、捨てられる箇所が最初にあります。しかし、神様が捨てたのでなくて、神様の愛の召しにも関わらず、神様の回復の声に関わらずに、神様の警告にも関わらずに、それに逆らった末に、神様の忍耐にもかかわらず、神様の裁きを受けることになったのです。たるんだ弓のように的を外れたとあります。罪とは的外れな人生です。行くべき人生でなくて、神様の計画の外れた人生を自分勝手に歩んでいくことです。私たちは自分勝手な人生を歩んで目的のずれた人生を歩んでいないでしょうか。その結果は永遠の辱めです。
しかし、今日のQT箇所は「そのとき主は」再びイスラエルの回復のために立ち上がられます。それには、順序があります。①礼拝の回復からなされるのです、それは具体的な人生のターニングポイントなのです。②神様のリーダーを立てられます。ダビデを立てられて、その子孫として主イエス・キリストが来られたのです③神様のリーダーによって神様の民、クリスチャンは牧されて歩んで生きます。 この時は、ヨセフの一族(エフライム)でなくて、人間的には強く多く集まったいた部族でなくて、創世記から出エジプトまで用いられた部族でなくて、ユダ部族が用いられました。時に、神様のなされることが人間的には分からないことがあるかもしれません。しかし、私を愛され、回復され、用いられる方は真実です。その神様に、私は、日ごとに神様の御言葉によって、教会によって養われているのでしょうか。神様に養われたものこそが、正しい心を持って牧者として仕え、導くことが出来ます。その時にこそ、正しい目的に従った人生を、その結果を得ることが出来ます。
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