坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 5月 07, 2009

今日、天国のマナを味わうと明日が変わる

詩篇78;23-33
しかし神は,上の雲に命じて天の戶を開き, 食べ物としてマナを,彼らの上に降らせ,天の 穀物を 彼らに與えられた. それで人々は御使いの パンを食べた.神は飽きるほど食物を 送られた. 神は,東風を 天に 起こし, 御力をもって, 南風を 吹かせられた. 神は彼らの上に肉をちりのように,翼のある鳥をも海邊の砂のように降らせた. それを宿の中,住まいの回りに落とした. そこで彼らは食べ, 十分に 滿ち 足りた. こうして 彼らの 欲望を, かなえてくださった. 彼らがその欲望から 離れず,まだ,その食べ物が口にあるうちに,神の怒りは彼らに向かって燃え上がり,彼らのうちの最もがんじょうな者たちを殺し,イスラエルの若い男たちを打ちのめされた. このすべてのことにもかかわらず, 彼らはなおも罪を犯し,神の奇しいわざを信じなかった. それで神は,彼らの日をひと息のうちに, 彼らの齡を,突然の恐怖のうちに,終わらせた.
昨日に引き続き、「私たちの現実のパンを満たせないであろう」もしくは「現実は別さ」と考える人間の不信仰にマナを与えてくださる神様のみわざです。神様の下さるマナは天国のものです。御使いの食べるものでした。しかも、豊かに飽きるほどに与えてくださる方でした。また、肉を与えてくださる方でした。それでも、人間は悔い改めることをせずに、感謝を知らずに、全く神様との関係を持つことが出来ずにいました。私にとって、マナとは何でしょうか?それは、私の人生の全ての領域で全ての必要を例外なく与えてくださる神様との関係を教えてくださるものです。マナが重要でありますが、それよりも重要なものは「私と神様の関係」なのです。イスラエルの民は、もしくはクリスチャンは マナを与えられても「私の全てを満たす神様の関係を」知ることが学ぶことがありませんでした。
私にとって、マナとは何でしょうか?
①日常の全てを例外なく、豊かに満たす方が下さる現実の糧、
②天国から朝ごとに降る霊的な糧(これなしに生きることがあってなりません)
③マナをいただく人生は、神様が私の主であることを告白することです
④感謝と悔い改めをするもの
⑤天国のものを豊かに味わうなら、明日への人生が変わります。
⑥日ごとの心配から解き放たれ、豊かに与える神様の愛を伝えずに入れません
霊的な人生を準備する今日を生きます。私の日常を豊かに満たす神様の愛を受けて、明日を準備します。