坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 5月 05, 2009

神様を伝える使命に命を書かける理由

詩篇78;1-11
私の民よ.私の敎えを耳に入れ,私の口のことばに耳を傾けよ. 私は,口を開いて,たとえ話を語り,昔からのなぞを 物語ろう. それは, 私たちが 聞いて, 知っていること,私たちの先祖が語ってくれたこと. それを 私たちは彼らの子孫に隱さず,後の時代に語り告げよう. 主への贊美と御力と, 主の行なわれた奇しいわざとを. 主はヤコブのうちにさとしを 置き, みおしえをイスラエルのうちに定め, 私たちの 先祖たちに 命じて, これをその子らに敎えるようにされた. 後の世代の者, 生まれてくる子らが, これを知り,彼らが興り, これをその 子らにまた 語り 告げるため, 彼らが神に信賴し,神のみわざを忘れず, その仰せを守るためである. また 先祖たちのように, 彼らが, かたくなで,逆らう世代の者,心定まらず, たましいが 神に 忠實でない世代の者とならないためである. エフライムの人々は、矢をつがえて弓を射る者であったが,戰いの日には退却した.彼らは神の契約を守らず,神のおしえに從って步むことを 拒み,神の数々のみわざと,神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてしまった.
神様のみ言葉を聞いたときの反応はどのようなものでしょうか?それは、感動からです。黙っていられない感動から、賛美となります。それを黙って伝えずにいられない賛美と宣言となるのです。今朝の詩篇はまさにそうです、そして、それは苦難の中で神様を体験すればするほど、詩篇を賛美せずにいられないのです。神様の奇跡を見たのに黙って座っていられないのです。それを伝えずにいられないのです。それを聞かない人生は以下に損で、危険な人生で、不安な人生なのであるのか?そして、神様から離れた人生は、罪へと向かう人生であるのことを覚えるときに、心が霊が定まれない人生であることを時に、それを伝えずに応えません。また、心が定まり、霊が定まる人生を生きるときに、そうでなかった過去の自分がどのようであったのか、はたして想像も出来ないことです。神様のことを伝える人生は、1:神様を賛美せずにいられない、2:神様の奇跡を体験するなら、3:伝える以外ありえない、という人生です。神様に信頼することはだまっている人生でなくて立ち上がる人生です。神様のために立ち上がり伝えていきます。