眠れない夜の友に
詩篇77:1-9
私は神に向かい聲をあげて,叫ぶ. 私が神に向かって聲をあげると, 神は聞かれる. 苦難の日に,私は主を尋ね求め,夜には,たゆむことなく手を差し伸ばしたが,私のたましいは慰めを拒んだ.私は神を思い起こして嘆き,思いを潛めて,私の靈は 衰え果てる. セラ あなたは,私のまぶたを閉じさせない. 私の 心は 亂れて, もの 言うこともできない. 私は,昔の日¿,遠い昔の年¿を思い返した.夜には私の歌を思い起こし,自分の心と語り合い, 私のたましいは 問いかける. 「主は,いつまでも拒まれるのだろうか. もう 決して 愛してくださらないのだろうか. 主の惠みは,永久に絶たれたのだろうか. 約束は,代々に至るまで,果たされないのだろうか. 神は,いつくしみを忘れたのだろうか. もしや,怒ってあわれみを 閉じてしまわれたのだろうか.」 セラ
私たちの人生には、苦しみがあります。いや、その連続かもしれません。しかし、そのような夜の友がいます。それは、主なる神様です。長い忍耐と沈黙をされているような感じを受けるその方が友に私たちと涙を流し、愛し、そして私たちの最高に整えられた時に、その答えをくださいます。いや、神様ご自身が答えなのです。眠れない夜の友は主なる神様ご自身なのです。眠れない夜には、私たちは何所に行くのでしょうか?誰のところに行くのでしょうか?仮の慰めをする人や、代理満足させる人のところや、下手をしたら神様と逆の方向に行くので無いでしょうか。もしかしたら、嫌になって罪を犯す方向に行っているのかもしれません。眠れない夜には、私は神様に叫ぶほどに祈っているのでしょうか。眠れない夜に苦しんでいる人のそばで涙を流して祈ってあげているのでしょうか!神様の御心は何か聞きたいと叫び、祈っているのでしょうか?眠れない夜の友である神様に祈り、賛美し、友に涙を流していく友になります。
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