坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 2月 25, 2009

思い切って飛び込む所に主イエスと出会う

マルコの福音書15;42-49
すっかり 夕方になった.その日は備えの日,すなわち安息日の前日であったので,アリマタヤのヨセフ は,思い切ってピラトのところに行き,イエスのからだの下げ渡しを願った.ヨセフは有力な議員であり,みずからも神の國を待ち 望んでいた人であった.
ピラトは,イエスがもう死んだのかと驚いて,百人隊長を呼び出し,イエスがすでに死んでしまったかどうかを 問いただした. そして,百人隊長からそうと確かめてから,イエスのからだをヨセフに與えた. そこで,ヨセフは亞麻布を買い,イエスを取り降ろしてその亞麻布に包み,岩を掘って造った 墓に 納めた.墓の入口には
をころがしかけておいた. マグダラのマリヤとヨセの母 マリヤとは,イエスの 納められる所をよく見ていた.
十字架につけられたイエスを葬ったのは何と、議員であるアリマタヤのヨセフ、そして今日の箇所に出てきませんがニコデモが出てきます。彼らは、自分の立場上主イエス共に主旨を持つのが難しい人たちでした。また、律法を知っていても命なる主イエスにであることが出来ない人たちでした。しかし、共通点は 霊的な渇望が会った、と言うことです。この世のいろんな宗教行為、きよい行いがあっても
心を満たすことが出来ないことがあったのです。彼らは教師と呼ばれる人たちでした。しかし、聖書を教えても、知っていても、主イエスに出会うことがなかったのです。BORN AGAINしていなかったのです。今日、主イエスが十字架にかかってなくなられるのを見て「思い切って」イエスの体を葬ることをしたのです。今日私にとって、思い切ってするべきことは何でしょうか。献身するべきことは何でしょうか。人の目を気にせずにするべきことは何でしょうか。イエスについていた女性たちは十字架から墓までついていきました。最後までついていった彼女たちは証人となったのです。それは、イエスにどれほど愛されたのか知っている献身でした。私は今日、主イエスを証します。また、主イエスを優先にした行動を取ります。やはり、朝のQTは最高ですね。