坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 2月 04, 2009

栄光の座は丸く座る席と仕える席だ

マルコの福音書10:32-45
さて,一行は,エルサレム に 上る 途中にあった. イエス は 先頭に立って步いて行かれた. 弟子たちは 驚き, また, あとについて行く者たちは 恐れを 覺えた. すると, イエス は 再び 十二弟子をそばに呼んで,ご自分に起ころうとしていることを,話し始められた. 「さあ,これから, わたしたちは エルサレム に 向かって行きます. 人の 子は, 祭司長, 律法學者たちに引き渡されるのです. 彼らは,人の子を
死刑に定め,そして,異邦人に引き渡します.すると彼らはあざけり, つばきをかけ,むち 打ち, ついに 殺します.しかし,人の子は三日の後に,よみがえります. 」
さて,ゼベダイのふたりの子,ヤコブとヨハネが,イエスのところに來て言った. 「
先生.私たちの賴み事をかなえていただきたいと思います. 」 イエスは彼らに言われた.「何をしてほしいのですか. 」 彼らは言った.「あなたの榮光の座で, ひとりを先生の右に,ひとりを左にすわらせてください.」 しかし, イエスは彼らに言われた.「あなたがたは自分が何を求めているのか, わかっていないのです. あなたがたは,わたしの飮もうとする杯を飮み,わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか. 」
彼らは「できます.」と言った.イエスは言われた.「なるほどあなたがたは,わたしの飮む杯を 飮み,わたしの受けるべきバプテスマを受けはします.
しかし,わたしの右と左にすわることは,わたしが 許すことではありません. それに 備えられた 人¿があるのです. 」 十人の者がこのことを聞くと,ヤコブとヨハネのことで腹を立てた.
そこで,イエスは彼らを呼び寄せて,言われた.「あなたがたも知っているとおり,異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し,また,偉い人たちは彼らの上に權力をふるいます. しかし, あなたがたの間では,そうでありません. あなたがたの間で偉くなりたいと思う者はみなに仕える者になりなさい. あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は, みなのしもべになりなさい. 人の子が來たのも, 仕えられるためではなく,かえって仕えるためであり,また,多くの人のための,いのちの代價として, 自分のいのちを与えるためなのです. 」

主イエスの人生は、神様の絶対的な権威を認めた人生でした。それは神様の愛を信じ続けていた人生でした。神様が共に永遠におられることを喜んだ人生でした。何故なら、エルサレムに向かう途中に、十字架の受難と復活を宣言されながらも、先頭に立って自らその苦難へと向かわれたからです。神様が共にいることを永遠に喜び、愛され、愛していくことが無ければ、決してできない人生です。そうでないから、神様の横の座に着かせてください、と要求するヤコブとヨハネがいるわけです。
彼らは、そう願わないといけない不安感や、逆に他の人よりも優越感を持ってしまうのです。しかし、神様の愛を受けた人は仕える場所に行きます。また、高い位置のいることよりも、神様と共に丸く座って話すことを願います。まことの栄光の座とは、イエス・キリストの十字架の座であり、仕える人の場所です。また、それは今日のリビングライフの例話にあったイ・フン牧師先生の証のように、丸く座る集まりです。人と比較するのでなく(優越感でも、劣等感でもなく)低くなれることを喜べる場所が仕える場所です。それは、イエス・キリストの十字架によって死んだ人生です。今日の人生を感謝して生きます。