坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 2月 02, 2009

全て持っていても一番大事なものが無い

マルコの福音書10;17-22
イエス が道に出て行かれると, ひとりの人が走り寄って, 御前にひざまずいて, 尋ねた. 「尊い
先生. 永遠のいのちを 自分のものとして 受けるためには, 私は 何をしたらよいでしょうか. 」 イエス は彼に言われた.「なぜ, わたしを『尊い 』と 言うのですか. 尊い 方は, 神おひとりのほかには, だれもありません. 戒めはあなたもよく 知っているはずです. 『殺してはならない. 姦淫してはならない. 盜んではならない. 僞證を立ててはならない. 欺き 取ってはならない. 父と 母を 敬え. 』」 すると, その人はイエスに言った. 「先生. 私はそのようなことをみな, 小さい 時から 守っております. 」 イエス は 彼を 見つめ, その 人をいつくしんで言われた.「あなたには,欠けたことが 一つあります. 歸って,あなたの持ち物をみな賣り拂い,貧しい人たちに與えなさい.そうすれば,あなたは天に宝を積むことになります. そのうえで,わたしについて 來なさい. 」 すると彼は, このことばに顔を曇らせ,悲しみながら立ち去った. なぜなら, この人は多くの財産を持っていたからである.
今日の聖書箇所は、非常に残念な場面が出てきます。正しい生き方をし、お金を持ち、正しい行いを持っていた人が、それでは、永遠の命を得れないことを知り、葛藤してイエスの元に来たのです。
しかし、そこで言われたことは「あなたの持ち物をみな売り、貧しいものに分け与えなさい」です。それが出来ずに、悲しみながら去っていったのです。イエスが言われたことは救いは無料で受けるものでした。ただで、値しない人に与えられる十字架のプレゼントでした。既にそうされたのイエスでした。
私にとって、お金でなくても大事にしているものは何でしょうか。私にとって誇りは、プライドは何でしょうか。また、自分が普段相手にしない人、価値の無い人は誰でしょうか。そのような方にイエスは救いを下さったのです。私のついていくロールモデルは、既にその姿勢を、生き方をなされているのです。何故、私たちは人生の価値観を変えれないのでしょうか。青年にとって、永遠の命とお金が代えれない物であったのです。私の人生の価値観を変えていきます。また、私の大事なものをささげていきます。また、この青年をイエスは「いくつしまれた」のです。魂を求める人の視線は、冷たい視線や判断でなく、愛でした。人に接するときに愛を持って生きることを覚えます。私の中に心の傷や癒されない思いがあるときに、そうできないときをも思いをもちます。主よ、私の中に神様の愛によって癒された心を日ごとに与えてください。