坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 2月 03, 2009

信仰とは所有権の移転だ

マルコの福音書10;21-33
イエス は, 見回して, 弟子たちに 言われた. 「裕な 者が 神の 國にはいることは, 何とむずかしいことでしょう. 」
弟子たちは, イエス のことばに 驚いた. しかし, イエス は 重ねて, 彼らに 答えて 言われた. 「子たちよ. 神の 國にはいることは, 何とむずかしいことでしょう.
金持ちが神の國にはいるよりは,らくだが 針の 穴を 通るほうがもっとやさしい. 」 弟子たちは,ますます驚いて互いに言った. 「それでは, だれが 救われることができるのだろうか. 」 イエス は, 彼らをじっと見て言われた.「それは人にはできないことですが, 神は, そうではありません. どんなことでも, 神にはできるのです. 」
ペテロ がイエスにこう言い始めた.「ご覽ください. 私たちは, 何もかも 捨てて, あなたに 從ってまいりました. 」 イエス は言われた. 「まことに, あなたがたに 告げます. わたしのために, また
音のために,家,兄弟, 姉妹, 母, 父, 子, 畑を捨てた者で,
その百倍を受けない 者はありません.今のこの時代には,家,兄弟,姉妹,母,子,畑を迫害の中で受け,後の世では永遠のいのちを 受けます.

金持ちの人が、どうして天国に入るのが難しいのでしょうか?神様の国はいるのが難しいのでしょうか。それは、所有権が神様のものでないからです。信仰とは、所有権の移転を意味します。お金や時間や自分の人生が神様のものであり、神様に預けられたものであることを知る人は、信じる人は自由があります。しかし、所有権が神様にない人は自分のもでありながらも、実は自分でなくものの奴隷になって自由でないのです。そして、いつも不安であり、戦わないといけません。また、神様が人生の主人であることがどれほど素晴らしいのか、愛の主人であった人生の幸福を味わうことが出来ません。私たちの主人なるキリストは私に命を捨てて、永遠の命を下さった方です。その所有権の移転が出来る人は成熟したクリスチャンとなり、人に仕え、人と共にいて楽な人となります、癒す人となります。それは、完成形でなく現在進行形です。主人なるキリストに仕えていきます。