坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 12月 15, 2008

人を生かす悲しみ

第二コリント7:8-11
あの 手紙によってあなたがたを 悲しませたけれども, 私はそれを 悔いていません. あの 手紙がしばらくの 間であったにしろあなたがたを 悲しませたのを 見て, 悔いたけれども,
今は 喜んでいます. あなたがたが 悲しんだからではなく, あなたがたが 悲しんで 悔い 改めたからです. あなたがたは 神のみこころに 添って 悲しんだので, 私たちのために 何の 害も 受けなかったのです. 神のみこころに 添った 悲しみは, 悔いのない, 救いに 至る 悔い 改めを 生じさせますが, 世の 悲しみは 死をもたらします.
ご 覽なさい. 神のみこころに 添ったその 悲しみが, あなたがたのうちに, どれほどの 熱心を 起こさせたことでしょう. また, 弁明, 憤り, 恐れ, 慕う 心, 熱意を 起こさせ, 處罰を 斷行させたことでしょう. あの 問題について, あなたがたは, 自分たちがすべての 点で 潔白であることを 證明したのです. 神様の御心にそった悲しみは、人を活かします。また、悔い改めは新しい命を起こします。神様と人との関係を回復して、人を傷つけるものでありません。しかし、世の悲しみは死をもたらします。 そして、罪を処罰させます。私にとって、このような歩みが、関係があるでしょうか。 罪への処罰と救いへの悔い改めがあるのでしょうか。主よ、本当に汚れた私をきよめてください、 と祈るばかりです。また、罪は人間関係の中にあります、神様の関係の中にあります。
新しいいのちを生み出す神様との関係を取り戻します。主よきよめてください。