坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 12月 12, 2008

キリストの大使の生き方1

第二コリント5:11-21
こういうわけで, 私たちは, 主を 恐れることを 知っているので, 人¿を 說得しようとするのです. 私たちのことは, 神の 御前に 明らかです. しかし, あなたがたの 良心にも 明らかになることが, 私の 望みです.
私たちはまたも 自分自身をあなたがたに 推薦しようとするのではありません. ただ, 私たちのことを 誇る 機會をあなたがたに 與えて, 心においてではなく, うわべのことで 誇る 人たちに 答えることができるようにさせたいのです.

キリストの大使としての人生はどんな人生でしょうか
1:人をおそれる人生でなく、神様をおそれる人生です。それは、うわべだけでなく心からの生き方をもって人に仕えます。
2:それは、必ず神様にも人の前に分かる生き方です。
3:キリストのために狂っていると思われる人生であり、本当に正しい意味でキリストのために狂う人生です。ありきたりの適当な人生ではありません。何となくの人生ではありません
4: 自分が主イエスによってどれほど赦されたのか、どれほど待っていただいたのか、知っている人生です。
5:全く新しい被造物として生きる人生であり、自分が他の人と比べて劣っているなどなく、他の人と何の差別もありません。
6:人を裁くためでなく、人格者として扱い、いわれのない苦しみをしたイエス・キリストの愛で他の人に仕える人です。
本当に、違反行為をしているのに私たちは何と裁く行為や、指摘する行為が多いのでしょうか。何と待ってあげることが出来ないのでしょうか。頭で、キリストは私にそうされていないと知っていながらも、そうはしない、そうはできないことが多くあるのでしょうか。
しかし、キリストの使節は和解させるための使命があります。それは、喧嘩を続行させるためでなくキリストに会って神様と私たちの和解の務めをするのです。それは、柔和な人でないといけません。今日、愛を持つ神様の人格者として仕えていきます。