神様の命が私の中にあることは
第二コリント4章7-9
私たちは,この寶を,土の器の中に入れているのです.それは,この測り知れない力が神のものであって,私たちから出たものでないことが 明らかにされるためです.
私たちは, 四方八方から 苦しめられますが,窮することはありません.途方にくれていますが,行きづまることはありません.迫害されていますが,見捨てられることはありません.倒されますが,滅びません.
私たちは,この寶を,土の器の中に入れているのです.それは,この測り知れない力が神のものであって,私たちから出たものでないことが 明らかにされるためです.
私たちは, 四方八方から 苦しめられますが,窮することはありません.途方にくれていますが,行きづまることはありません.迫害されていますが,見捨てられることはありません.倒されますが,滅びません.
私の中の最高の宝なんでしょうか。多くの場合知っている答えですが、現実の中で忘れていることがどれほど多いでしょうか。どれほど考えずに、どれほど神様は私の小さい現状に関心がないさ、とか思いがちなことでしょうか。また、自分の器の大きさや賜物がある人がすごいと人は考えがちです。
しかし、本当にすごいものは「キリストの命」が私の中にあることです。普段は、自分の力や人の器を見るために、比較してしまい自分で高慢やコンプレックスに陥りやすいものです。
そんな時に、私たちを目覚めさせてくれるのは「苦難」という恵みです。死を前にしての苦難とはなかなかないかもしれません。でも、目の前に迫る苦難はたくさんあるのでないでしょうか。
もしも、キリストの命が死を刺し通すことにリアリティがあり、どのような苦難も勝利する「無限のキリスト」の命、力があると信じるならどうでしょうか。私の毎日は変わるのでないでしょうか。
私を取り巻く現実は、四方八方からつまるような状況があります。しかし、キリストの無限の力に頼って、ただキリストの命だけがあらわされる人生を進ませてください、と祈りました。
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