坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 12月 09, 2008

私の人生は最高だと叫べる理由

第二コリント4章13-
私は 信じた. それゆえに 語った. 」と 書いてあるとおり, それと 同じ 信仰を 持っている 私たちも, 信じているゆえに 語るのです.
それは, 主 イエス をよみがえらせた 方が, 私たちをも イエス とともによみがえらせ, あなたがたといっしょに 御前に 立たせてくださることを 知っているからです. すべてのことはあなたがたのためであり, それは, 惠みがますます 多くの 人¿に 及んで 感謝が 滿ちあふれ, 神の榮光が現われるようになるためです.

私の人生は満足しているでしょうか?また、感謝で溢れているでしょうか。それとも、不満や不平があるのでしょうか。また、自分の足りないものを卑下したり、その傷から人を批判したり、ということがないでしょうか。それと、聖書の出てくる人とは信仰が私と違うからと考えたりしていないでしょうか。
しかし、聖書は神様ははっきりと明確に語られます。「私は信じた」という信仰と同じ信仰の霊をもっている私たちも、あなたがたも同じ信仰であり、同じ告白であり、同じ神様の力、効果があるのであると。考えてみると、①:私の人生は地獄でなく天国にいけるだけで感謝なのに、②:そのキリストの力、命は日々私を新しくしてくれます。③:そして、今のときの軽い艱難は、私たちのうちに働いて計り知れない思い永遠の栄光をもたらします④:神様の栄光の同労者となれるのです。
それを考えるときに、私の人生は最高でないでしょうか。また、今のときの艱難は私のうちに働いて思い永遠の栄光をもたらします。すると、今の苦難は将来への思い永遠の栄光を受けるための大事なものなのです。それは、私を駄目にするのでなく、聖化していくものです。新しくするものです。
今朝、与えられている艱難を大事なひよう、こやし、それよりももっと素晴らしい私へ永遠の栄光をもたらすものとして、受け止めていきます。