坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 12月 18, 2008

福音の告白に従順しているのか?

第二コリント9:10-15
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は, あなたがたにも蒔く種を備え,それをふやし, あなたがたの 義の實を增し加えてくださいます. あなたがたは,あらゆる点で豊かになって,惜しみなく與えるようになり,それが私たちを通して,神への感謝を生み出すのです. なぜなら,この奉仕のわざは,聖徒たちの必要を十分に滿たすばかりでなく,神への多くの感謝を 通して,滿ちあふれるようになるからです.
このわざを 證據として,彼らは、あなたがたがキリストの
音の告白に對して從順であり,彼らに,またすべてのに惜しみなく與えていることを知って,神をあがめることでしょう. また彼らは,あなたがたのために祈るとき, あなたがたに與えられた絶大な神の惠みのゆえに,あなたがたを慕うようになるのです.ことばに表わせないほどの賜物のゆえに,神に感謝します.
今日のQT箇所は、使徒パウロが神様への感謝を表すならば満ち溢れるというメッセージを送っている箇所です。私達は何とけちなのでしょうか。また、何と批判や非難をして「あれは聖書的でない」とか「教会の問題がどうたらこうたら」と言います。しかし、聖書のメッセージはこうです。あなたが福音の告白に従順しているのならば豊かにささげる、感謝する、というのです。また、その結果は豊かにあふれるのです。考えてみると、批判や非難は「自分のお金だ」というところからきます。また、自分の時間や自分の人生であると考えます。そうかもしれません。しかし、私の人生はイエス・キリストによって買い取られた人生なのです。罪から、キリストの十字架の死という世界で一番高い、値の付けられない値で買い取られたのです。それなら、その人生を大事に生きようとしないでしょうか。人生の主人なる方がイエス。キリストのはずなのです。所有権が移っているはずなのです。今週の英語礼拝の説教の中でこのような言葉がありました。「GOSPEL IS FREE BUT NOT CHEEP」神様の値の付けられない十字架で贖いだされた人生を福音の告白に従います。第二コリント9-;10-15