クリスチャンリーダーシップの特権と責任(民数記20:1-13)
1. ところが 會衆のためには 水がなかったので, 彼らは 集まって モ ― セ と アロン とに 逆らった. 2. 民は モ ― セ と 爭って 言った. 「ああ, 私たちの 兄弟たちが 主の 前で 死んだとき, 私たちも 死んでいたのなら. 3. なぜ, あなたがたは 主の 集會をこの 荒野に 引き 入れて, 私たちと, 私たちの 家畜をここで 死なせようとするのか.
4. なぜ, あなたがたは 私たちを エジプト から 上らせて, この 惡い 所に 引き 入れたのか. ここは 穀物も, いちじくも, ぶどうも, ざくろも 育つような 所ではない. そのうえ, 飮み 水さえない. 」
5. モ ― セ と アロン は 集會の 前から 去り, 會見の 天幕の 入口に 行ってひれ 伏した. すると 主の 榮光が 彼らに 現われた.
そして モ ― セ と アロン は 岩の 前に 集會を 召集して, 彼らに 言った.「逆らう 者たちよ. さあ, 聞け. この 岩から 私たちがあなたがたのために 水を 出さなければならないのか. 」
11. モ ― セは手を上げ,彼の 杖で 岩を 二度打った. すると, たくさんの 水がわき 出たので, 會衆もその家畜も飮んだ. 12. しかし,主はモ ― セ と アロン に 言われた. 「あなたがたはわたしを 信ぜず, わたしを イスラエル の 人¿の 前に 聖なる 者としなかった. それゆえ, あなたがたは, この 集會を, わたしが 彼らに 與えた 地に 導き 入れることはできない. 」
イスラエルの民たちは、再びつぶやきました。今度は、水が無かったからです。今度も神様のなさってくださるみわざへに期待も無かったのです。また、過去になされた神様のみわざも思い出しませんでした。つぶやきは、思わない罪の大きさの影響をもたらし、かみさまのみわざをとめてしまいます。
そういう中で、私たちクリスチャンはどのように行動すべきでしょうか。
1:モーセとアロンは会衆の前から去りました(6節)。そして、共に議論することをしませんでした。
2:主の会見の前に出て行きました。
3;神様の前に出て、神様からのメッセージをもらいました。
4:神様のメッセージを持って人々に仕え、導こうとしました。
多くのクリスチャンが、1の段階で議論したり、批判や批判することやつぶやくことで終わっています。しかし、まことのクリスチャンリーダーはそうしません。神様と共にいることから聖い影響力を難しい状況の中で発揮します。そういう人は、主の栄光を表します。
モーセとアロンはそうでした。しかし、彼らも大きな失敗を犯します。
それは、民たちに向かって『逆らおう者たちよ』と自分の怒りをぶちまけ、主なる神が命じられた「岩に命ぜよ」と言われた代わりに自分の怒りで「岩を二度打った」のです。モーセやアロンは約束の地に入れないと言われました。ちょっと、厳しすぎるのでないか?と若いころは良く思いました。しかし、神様の言われた理由は「神様のきよさ」をイスラエルの民の前にしなかった、神を信じなかったと言われました。神様はご自分の聖さを徹底される方です。また、神様の信じるクリスチャンリーダーは人々を導く特権とその半面に大きな責任があります。リーダーが神様の御心でなく、自分の感情で人々を導く、伝えたときに、私の心が現れました。神様の心を伝えるリーダーとして神様にセルフコントロールをゆだねます。また、その責任におそれおののいて歩みます。
4. なぜ, あなたがたは 私たちを エジプト から 上らせて, この 惡い 所に 引き 入れたのか. ここは 穀物も, いちじくも, ぶどうも, ざくろも 育つような 所ではない. そのうえ, 飮み 水さえない. 」
5. モ ― セ と アロン は 集會の 前から 去り, 會見の 天幕の 入口に 行ってひれ 伏した. すると 主の 榮光が 彼らに 現われた.
そして モ ― セ と アロン は 岩の 前に 集會を 召集して, 彼らに 言った.「逆らう 者たちよ. さあ, 聞け. この 岩から 私たちがあなたがたのために 水を 出さなければならないのか. 」
11. モ ― セは手を上げ,彼の 杖で 岩を 二度打った. すると, たくさんの 水がわき 出たので, 會衆もその家畜も飮んだ. 12. しかし,主はモ ― セ と アロン に 言われた. 「あなたがたはわたしを 信ぜず, わたしを イスラエル の 人¿の 前に 聖なる 者としなかった. それゆえ, あなたがたは, この 集會を, わたしが 彼らに 與えた 地に 導き 入れることはできない. 」
イスラエルの民たちは、再びつぶやきました。今度は、水が無かったからです。今度も神様のなさってくださるみわざへに期待も無かったのです。また、過去になされた神様のみわざも思い出しませんでした。つぶやきは、思わない罪の大きさの影響をもたらし、かみさまのみわざをとめてしまいます。
そういう中で、私たちクリスチャンはどのように行動すべきでしょうか。
1:モーセとアロンは会衆の前から去りました(6節)。そして、共に議論することをしませんでした。
2:主の会見の前に出て行きました。
3;神様の前に出て、神様からのメッセージをもらいました。
4:神様のメッセージを持って人々に仕え、導こうとしました。
多くのクリスチャンが、1の段階で議論したり、批判や批判することやつぶやくことで終わっています。しかし、まことのクリスチャンリーダーはそうしません。神様と共にいることから聖い影響力を難しい状況の中で発揮します。そういう人は、主の栄光を表します。
モーセとアロンはそうでした。しかし、彼らも大きな失敗を犯します。
それは、民たちに向かって『逆らおう者たちよ』と自分の怒りをぶちまけ、主なる神が命じられた「岩に命ぜよ」と言われた代わりに自分の怒りで「岩を二度打った」のです。モーセやアロンは約束の地に入れないと言われました。ちょっと、厳しすぎるのでないか?と若いころは良く思いました。しかし、神様の言われた理由は「神様のきよさ」をイスラエルの民の前にしなかった、神を信じなかったと言われました。神様はご自分の聖さを徹底される方です。また、神様の信じるクリスチャンリーダーは人々を導く特権とその半面に大きな責任があります。リーダーが神様の御心でなく、自分の感情で人々を導く、伝えたときに、私の心が現れました。神様の心を伝えるリーダーとして神様にセルフコントロールをゆだねます。また、その責任におそれおののいて歩みます。
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