坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 8月 31, 2008

神様は「吐き気を催すほどに」充分に満たされる

神様は「吐き気を催すほどに」充分に満たされる
民数記11:16-23
今日の聖書箇所は、神様が「肉を食べたい」と言ったイスラエルの民に神様の力を見せられるところです。イスラエルの民が以前の罪の生活、そこから抜け出すことよりも、以前に慣れ親しんだ生活にいることを主張するシーンです。ここで面白い聖書箇所は「吐き気が催す」ほどにまだ食べさせるという神様の答えです。神様はもちろん別に奇跡ができない方でも、出し惜しみをされる方でもありません。しかし、私たちはなんと不平や不満が多いことでしょう。 また、困難な状況の中で「全能なる神様の力」を信じることや、
「神様の時」を待つことがなんと難しいことでしょうか。今日の聖書箇所でモーセはこう言います。 「しかし、モーセは申し上げた~全部集めても、彼らに十分でしょうか」(21-22節)あの信仰の人モーセ、この世で一番謙遜な人(民数記12:3)でさえも、神様のみ前で無理だといったのです。
これをみながら、人は苦難の中で傷を受けるときに「その傷から立ち上がることが信仰者でも難しい」ということを黙想しました。私にとって、最近長く祈っている祈祷題があります。なかなか答えが来ないことに傷があります。絶望の中でいるような思いがあります。ひごとの傷の癒しが私には必要です。日ごとの神様の力強いみ手を体験する必要があります。
しかし、「主の手は短いのだろうか、わたしのことばは実現するかはいまわかる」(23節)
神よ、あなたの手を信じます。私の人生を出エジプトさせた主よ、荒野の中で導いてください