坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 8月 31, 2008

40という数字

40日が経って、彼らはその地の偵察から帰ってきた。(民数記13:25) イスラエル部族の代表者たちは、神様の約束の地の偵察から帰ってきました。その結果は、信仰で神様の約束を(過去)を現在の従順という形で得ることができませんでした。そのために、未来にある祝福を得ることができませんでした。これは、私の信仰をすごく刺激するものでした。神様の約束は既になされたものです。しかし、私は現在の状況が難しいと従順に従うということができません。敵は、自分を取り囲む状況は難しく、自分たちの心をなえさせるのです。しかし、今日の聖書箇所は10人の代表たちが全員否定的な言葉を言ったにもかかわらずに、カレブはただ一人立ち上がって神様の勇気に満ちた意見を堂々と話します。敵や味方さえも落ち込む状況の中でただ信仰に立ちます。カレブはこの後、従順したにもかかわらず、40年の荒野生活をすることになります。40日の偵察とそこから来た不従順のために、40年の罰と荒野で第一の世代がカレブやヨシュアを除いて死に絶えることになります。カレブはどんな気持ちで40年を過ごしたのでしょうか?また、40日の偵察は長い時間です。イスラエルの10人の代表はどんな気持ちで40日過ごし、どんな会話を過ごしたのでしょうか。「うわ、素晴らしい土地だけど絶対にこの地は得ることはできない、私たちは彼にとっていなごのようだ、これは部族に報告しないと」と否定的な話を充満させたのでしょうか。それに反して、カレブは信仰を持った会話と思いで40日の偵察をして生きたのでしょうか。
彼は、カナンの地に入ってから約束の地に入るとき「あの日と変わらない体と心」を告白しました。私が学ぶ得る教訓は何でしょうか。
神様に会ってカナンの地(約束を信じ従うこと、そして状況によって出なくビジョンによって生きる)そして、40日の偵察、40年の荒野の生活を心と体をなえて生きるのでなく
信仰を持って変わらない神様の愛と約束を信じることです。
今日の荒野の待つ学校を約束を信じて歩みます。