坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 9月 19, 2008

罪は断ち切らないいけない問題だ

どのような 人の 死體にでも 觸れる 者は, 七日間, 汚れる.
その 者は 三日目と 七日目に, 汚れをきよめる 水で 罪の 身をきよめ, きよくならなければならない. 三日目と 七日目に 罪の 身をきよめないなら, きよくなることはできない.
すべて 死んだ 人の 遺體に 觸れ, 罪の 身をきよめない 者はだれでも, 主の 幕屋を 汚す. その 者は イスラエル から 斷ち 切られる. その 者は, 汚れをきよめる 水が 振りかけられていないので, 汚れており, その 汚れがなお, その 者にあるからである. 16. 身のきよい 人が, それを 汚れた 者に 三日目と 七日目に 振りかければ, その 者は 七日目に, 罪をきよめられる. その 者は, 衣服を 洗い, 水を 浴びる. その 者は 夕方にはきよくなる.
17. 汚れた 者が, 罪の 身をきよめなければ, その 者は 集會の 中から 斷ち 切られる. その 者は 主の
聖所を 汚したからである. 汚れをきよめる 水がその 者に 振りかけられなかったので, その 者は 汚れている.
罪とは、クリスチャンにとって大きな問題です。クリスチャンになる前には気にならなかったことや問題にならなかったことが気になりだします。まるで、クリスチャンにならなかった良かったのに。
とさえ思えるかもしれません。しかし、罪を罪と感じれないことがどれほど恐ろしいことか?腐っていく自分の霊的な死の状態を感じていないことがどれほど危険なことか分かりません。
今日のQT箇所は、罪についての徹底的な聖めと断絶について私に語ってくれます。
① 罪について、罪に関することに触れても、考えてもいけない(11-12節)
② 罪に触れたら、徹底した聖めの期間と聖めの作業が必要で、時間も非常に回復に時間がかかる。これは、罪に対する聖めがこれほどまでに難しく、回復のプロセスが大変なことを見せ、私たちが罪を犯すことへの警告と、聖めへの招待を見せます。また、決して罪を犯すことを軽く見てはいけないこと。罪から離れることを示します。
③ 罪に触れた人、罪を犯した人の周りへの影響がどれほど大きいのか示します。
決して自分がつみに触れたことを周りに影響がないと軽んじてはいけないのです
④ 清い人のみが、きよめの儀式をおこえなえる。それは、私の主イエス・キリストのみだ。
逆に言うと、そこまでに罪の穢れの大きさが神様の子供を十字架にかけないといけなくくらいであった。
今日のQTをしながら、旧約聖書の律法は人を縛るためでなく、キリストに行くしかないことを徹底的に示してくれることと、その回復のメッセージとクリスチャンはどのように生きるべきか!語ってくれていると思いました。最後に、20節『罪を清めないなら』その民から断ち切られるとあります。
罪の深刻性を意識しないで、馴れ合いになる私たちに神様の警告です。祝福から断ち切らられる。
また、そこに回復せよ!と言われます。罪の影響を恐れ、断ち切る歩みをします。