坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 9月 19, 2008

まことのリーダーの心

「それで、モーセは主に叫んで言った。神よどうか彼女を癒してください」(13節) アロンとミリヤムが主の裁きにあい、ミリヤムがツァラトに犯されたという事件です。そこで、アロンが悔い改めてモーセに頼んだ時に「すぐに」その悔い改めを受け入れ、とりなしたのです。
普通ならそうはできないし、しないことでしょう。まことのリーダーは自分が罪を許し、敵を愛することの祝福の権利を持っていることを一番大事にします。偽のリーダーは自分が高められることだけを願います。それは、イエス・キリストの十字架の謙遜なすがた、卑しくまでされた姿そのものです。世間のリーダーは自分がもてはやされ、もちあげられることを願います。しかし、まことのリーダーは自分が損をしても、神様の愛が流れることを願います。自分で敵対が、傷が終わることを願います。以前に、私が中学生時代にサッカーをしていたときに先輩が後輩に試合の時にジュースを持ってこさせ、自分たちが飲ませることを伝統にしていたときがありました。ぜんぜん悪い伝統ですね。
それを、私たちが先輩になったときに悪い風習はやめる、ということになりました。そのときの先生の言葉がこうでした。どこかで損をしている人がいないと悪い習慣はずっと続くという話のもとやめました。私たちにとって、後輩が可愛くも感じれず、サッカーが私たちよりも上手である世代よりも、ずっとレベルの下がる感覚がしました。しかし、悪い罪の根は切らないといけません。
私が、まことのリーダーとして罪の根を切るリーダーになることを祈ります。今日仕える人や常識を知らない、困った人に接するときに神様のリーダーとして歩みます。