坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 1月 02, 2008

心のままに神様のために用いる物質

ピリピ の 人たち. あなたがたも 知っているとおり, 私が 音を 宣べ 傳え 始めたころ, マケドニヤ を 離れて 行ったときには, 私の働きのために, 物をやり 取りしてくれた 敎會は, あなたがたのほかには 一つもありませんでした. テサロニケ にいたときでさえ, あなたがたは 一度ならず 二度までも 物を 送って, 私の 乏しさを 補ってくれました. 私は 贈り 物を 求めているのではありません. 私のほしいのは, あなたがたの 收支を 償わせて 余りある 的祝なのです. 私は, すべての 物を 受けて, 滿ちあふれています. エパフロデトからあなたがたの 贈り 物を 受けたので, 滿ち 足りています. それは 香ばしいかおりであって,神が喜んで受けてくださる供え 物です.また、私の神は、キリスト · イエスにあるご自身の榮光の富をもって,あなたがたの必要をすべて滿たしてくださいます. どうか,私たちの父なる神に御榮えがとこしえにありますように。ア ― メン .(ピリピ人への手紙4章14-19) まことの共同体の最終クライマックスは、「物質的なもの」を分かち合うことの素晴らしさを知ることです。愛によって、福音を伝える人をささえる喜びを持つことです。目に見えない宣教地に祈りをもってささげることです。私は、私たちはそのような関係、fellowshipを持っているでしょうか。また、逆に自分は物質を心のままに用いる、ささげる人生を生きているでしょうか。それとも、物質に縛られる人生を生きているでしょうか。霊的な祝福を得ることを求める、神様と親しい関係を持っていることでしょうか。私自身は、そのような祝福をたくさんもらってきたこと思います。でも、そのように与えるでしょうか。少しばかりはしてきた感謝がありますが、まだまだであるように思います。 この2007年度の最後の日、QTは人生の究極的な目的である「神様に栄光を返す」人生でした。 それにふさわしい関係を、fellowshiPを持っていきます。また、物質を心のままに用いる、ささげる人生を生きます。