坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 5月 19, 2007

神様のものである

そのとき, レビ 人の 一族のかしらたちは, 祭司 エルアザル と ヌン の 子 ヨシュア と イスラエル 人諸部族の 一族のかしらたちのところに 來て, カナン の 地の シロ で, 彼らに 告げて 言った. 「主は, 私たちに 住むべき 町¿と, 家畜のための 放牧地とを 與えるよう,モ ― セ を 通して 命じられました. 」
それで, イスラエル人は,主の命令で,彼らの相續地から, 次の町々とその 放牧地とを レビ人に与えた。(ヨシュア21:1-3)
今日は、レビ族が私たちに住む町を下さい、というところです。ここで覚えたことは、レビ族が住む場所を下さい、ということは簡単であったのか、ということです。自分のいいたいことを言えないことが多くあるのでないか、と思います。逆に人は自分の主張だけをすることはないでしょうか。しかし、神様の御心であるなら正確に求めるべきであることを覚えました。また、このレビ族の求めに他の部族は答えたことです。それは、自分の既に得ている土地から再び持っていかれることでした。しかも、自分で選んでレビ族に与えるのでなく、「くじ」で持っていかれるとも思えるようなことです。しかし、彼らはそれをしました。それは、自分の得た土地は神様のものである信仰から来るものでした。神様に仕えるレビ族にささげたのです。これは10分の一献金や自分の持っているものを分かち合う、ささげる心を思わせます。思い出すことがありました。韓国での神学生時代に、お昼の食事の時間にお金が無くてご飯が食べれない人がいました。自分達外国人も「愛の食券」という神学大学院のスカラーシップ(現品配布)をもらったことがありました。また、日本教職者の方々で厳しく生活されていることを覚えました。
自分の持っているもので、分かち合うことは何か、自分のものは神様のものであることを覚えました。この地でのものは、私のものは神様のものであることを覚え、豊かな人生を生きます。自分にとって分かち合える霊的な祝福をもって日本の人々に仕えます。そういう分かち合いを待っている人のところへ遣わして下さい。