坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 5月 19, 2007

逃れの町

人が, これらの 町の 一つに 逃げ込む場合, その者は, その町の 門の 入口に 立ち, その 町の 長老たちに 聞こえるように, そのわけを 述べなさい. 彼らは, 自分たちの 町に 彼を 受け 入れ, 彼に 一つの 場所を 與え, 彼は, 彼らとともに 住む. たとい, 血の 復讐をする 者がその 者を 追って 來ても, 殺人者をその 手に 渡してはならない. 彼は 知らずに 隣人を 打ち 殺したのであって, 以前からその人を憎んでいたのではないからである(ヨシュア20:5-6)
逃れの町のQTです。誤って人を殺してしまった人が相手側の人々が感情で復讐しないように、神様と人の前の裁きを受けれるようにする場所です。私たちに、神様の公正な裁きが無く、人々の憎しみで裁かれるならどうでしょうか。永遠に和解も回復も無いのでないでしょうか。また、人を殺した人はたとえ故意に人を殺してので無いと分っても、自分の責任を持つことを要求されます。大祭司が死ぬまでその町にいないといけないのです。そこで、自分の町に帰ることが出来ずに、逃れの町で死んでしまった人もいるかもしれません。しかし、このような逃れの町があることが血の復讐のために、神様のあわれみの備えがあったのです。どれほど幸いなことでしょうか。
適用:神様のあわれみは私の中にあるのか。
   まず、私は神様のあわれみの中に入ったのか。
   そして、私は人へのあわれみの町を持っているのか?
神様の裁きは復讐は自分に下るのでなく、代わりにイエスに下ったこと、その愛に感謝し、
その愛を分かち合っていきます。