坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 5月 05, 2007

信仰とはとまらないこと

ヨシュア は年を 重ねて 老人になった. 主は彼に仰せられた.「あなたは年を重ね,老人になったが,まだ占領すべき地がたくさん 殘っている.
その 殘っている 地は 次のとおりである.
レバノン から ミスレフォテ · マイム までの 山地のすべての 住民, すなわち シドン 人の 全部. わたしは 彼らを イスラエル 人の 前から 追い 拂おう. わたしが 命じたとおりに, ただあなたはその 地を イスラエル に 相續地としてくじで 分けよ.
今, あなたはこの 地を, 九つの 部族と, マナセ の 半部族とに, 相續地として 割り 當てよ。」

(ヨシュア13:1,6)

信仰とは、止まらない自転車のようなものです。自転車が止まると転ぶように、信仰は常に前進しつづけるものです。苦難にあり、後退しているように見えても、動いていないように見えても、螺旋階段のように成長し、神様の与えられる祝福を得るものです。ヨシュアは年老いて、カナンの占領地を全部取る前に、戦争の先頭に立つことからは引退しないといけませんでした。これは、どんなに残念で残った地や残った人々にゆだねることに大きな不安があったかわかりません。しかし、ここに神様のリーダーシップが見られます。人が変わっても必ず神様の御心はなること(人の力によっては絶対的なことがない)
そして、信仰によって次の人々にまだ占領していない地をくじで分けさせて、責任分担、動機付与を与えたのです。まことのリーダーは一人でするのでなくほかの人と働きを分担させ、その人に責任を持たせます。逆に、何でも自分でしたがるのは違うわけです。わたしも、このような弱さがあります。管理したり、自分がしないと怠けているような不安があります。
しかし、それではいけません。信仰を持って前進し続けること、また奉仕を分担させる、ビジョンを分かち合うリーダーとして信仰を持っていくことを祈ります。