主のために奇跡を要求せよ
主が エモリ人をイスラエル人の前に渡したその日,ヨシュア は主に語り,イスラエルの見ている前で 言った.「日よ.ギブオンの上で動くな.月よ.アヤロンの谷で.」
民がその敵に復讐するまで,日は動かず,月はとどまった. これは,ヤシャル の書にしるされているではないか.こうして,日は天のまなかにとどまって,まる一日ほど出て來ることを急がなかった. 主が 人の声を聞き入れたこのような日は,先にもあとにもなかった.主がイスラエルのために戰ったからである.(ヨシュア10:12-14)
民がその敵に復讐するまで,日は動かず,月はとどまった. これは,ヤシャル の書にしるされているではないか.こうして,日は天のまなかにとどまって,まる一日ほど出て來ることを急がなかった. 主が 人の声を聞き入れたこのような日は,先にもあとにもなかった.主がイスラエルのために戰ったからである.(ヨシュア10:12-14)
この日のQTは、非常に大きなチャレンジを感じるものでした。QTの分かち合いのこの場所に書きたかったのですが、正直プレッシャーを感じて書けずにいました。ですから、これは事後報告に近いものです。また、このような深い神様の真理を語るのに浅すぎる自分の信仰に不足を感じました。ヨシュアは、霊的な戦いの中で「神様に要求」するのです。しかもそれは、「主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった」というのです。
主の栄光のために、イスラエルの復讐のために、悪への復讐のために、神の勝利のために
ヨシュアは、「日よ、ギブオンの上で動くな、月よアヤロンの谷で」と祈り願い、宣言するのです。神様のために、悪への復讐のために、このような大胆に奇跡を要求するヨシュアの信仰は。自分にとって(周りから見ると大したことがないかもしれませんが)、難しいと思える働きがありました。ソウルに来ている留学生に全員に福音を語れるように祈りつつ、その1ステップの一つの働きがありました。留学生に福音を語るにしても、まずは知り合いに、友人にならないと語ることができません。そのためにの一つの働き(伝道の前の働き)だったのですが、多くの大学で拒否されてきたことがありました。しかし、それが飛び込みのような形で申し込んだ大学で許可が下りたのです。しかも、ハングルを教える語学堂の先生たちが、授業でそれを広告してくださることになったのです。ありえない奇跡が起こりました。ハレルヤ!
ああ、自分はヨシュアのような信仰と勇気から遠いと思いました。神様は奇跡を起こされるのは、不可能でないのに、何故父なる神の権能を祈らないのだろうか、と思いました。
ヨシュアのように奇跡を要求する、宣言する信仰を持ちます。
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