区別された生き方をしているのか
「その時、主はヨシュアに仰せられた。火打石の小刀を作り、もう一度イスラエル人に割礼をせよ」
(ヨシュア5:2)
今日のQTは、非常におもしろい箇所です。ヨルダン川の向かいへ渡りエリコの住民が心がしなえ、もはや勇気がなくなった、という箇所に続くのは「割礼をせよ」という神様の命令です。
戦う前に、いきなり割礼をせよという神様はなぜ?と思いました。
今こそ、戦いの勝利のための絶好のチャンスなのに、いきなり割礼をして休まないといけないのです。 この理由は、出エジプトをした第一世代が死んだために(神様の御声に聞き従わなかったために、約束の地に入れなかった)荒野での第二世代が割礼を受けていなかったためです。
それにしても、このタイミングとは?
それは、イスラエルの第二世代が勝利を得る侵略戦争だけに終わらないが大事でした。
神様の民として区別される、クリスチャンとして区別される生き方が必要だったのです。
神様の民として区別される、クリスチャンとして区別される生き方が必要だったのです。
ですから、カナンの征服戦争の前に割礼を受ける必要があったのです。
カナンは偶像崇拝と悪が神様の前に立ち上っている民でした(申命記9:4)。
そこで、もしも割礼を受けずにそのままイスラエルの民が入っては堕落する危険性さえもあったのです。
適用:私はクリスチャンとして区別された生活をしているだろうか、神様に聖められた生活をしているだろうか。クリスチャンとして区別されて生きることを恐れていないだろうか。
そこで、もしも割礼を受けずにそのままイスラエルの民が入っては堕落する危険性さえもあったのです。
適用:私はクリスチャンとして区別された生活をしているだろうか、神様に聖められた生活をしているだろうか。クリスチャンとして区別されて生きることを恐れていないだろうか。
神様の民として区別されることを決心します。
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