坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 4月 25, 2013

楽な道でなくて、最善の道を歩め!

創世記48;3-4、7,9「ヤコブはヨセフに言った。全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、」「私に仰せられた、わたしはあなたに多くの子を与えよう。あなたを増やし、あなたを多くの民のつどいとし、またこの地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう」ヤコブは、自分の歩んで生きた神様の出会い、神様の下さった祝福、そしてさらにこれからにあたえらる約束をヨセフに分かち合います。私はこのような神様の出会い、約束、生きてきた道をあかしていているでしょうか。それをさらに、次の世代へ受け継いでいるでしょうか?神様の約束を、ビジョンを、夢を次の世代へ、受け継いでいるでしょうか?今日のQTのメッセージの箇所は以前にたソウルサラン教会の主任牧師の「オ・ジョンヒョン」牧師
様の証でした(本当はQTを終わる前に読むのはいけないですが~インパクが大きかったので)そこには、自分の息子たちに「楽な道でなくて、最高の尊い道を歩むように、神様の下さる道は最善であること、それは必ずしも、人間の願う楽な道ではない」ことを語られていました、本当にそうだと思います。妥協することなく、最高の尊い道を歩んでいるでしょうか?最善の道を歩む喜びを享受しているでしょうか。その価値観、イエスの愛を賛美しているでしょうか?
もう一つ、ヤコブは7節「私の事を言えば、私がバダンから帰ってきた時に、その途上カナンの地で、悲しいことにラケルが死んだ」と語ります、ヤコブの痛み、傷を感じる箇所です。そこには、家族の不和の下になった部分があります。もちろん、ヤコブからヨセフへの祝福の家系があったことは事実です。しかし、そこにはラケルを愛することはもちろん大事、いいことですが、他の家族、子供たちを傷つける部分があったことを感じます(ヤコブとラケルの事を否定するのでありません)。家長として私は傷を癒されて生きているのでしょうか?正しい家族関係、日々の傷をイエスの愛で回復しながら、生きているのでしょうか?
9節「~すると、父は彼らを私のところに連れて来なさい、私は彼らを祝福しよう」とヤコブに言います。家長の特権は、祝福を次の世代へ引き継ぐことです。教会の人々へ、子供たちへ、神様の祝福を引き継いでいきます。私を生かしてくださって主イエスを賛美し、あかし、祝福します。

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