坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 4月 18, 2013

神様の節理を信じると期待する

創世記45:5「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったり、してはなりません。髪は命を救うために、あなたがたより先に、私を遣わされたのです」
ヨセフは言います、兄弟にうらみも言わずに、傷も言わずに、謝罪せよ、といわずに「神様の御心、摂理、計画を言います」神様の救いの計画に生きる時に、自
分の心の傷、文句、恨みがありません。また、なぜこんなに待たされたのだ、とかも言いません。本当に必要なことを言います。それは、神様の摂理であり、神様の権威の従うことのみを宣言します。そこに、傷を持った人の痛み、不平や不満もありません、人間的な弱さも無く、神様に会って守られた、強められた姿があります。私にとって、教えられたのは「なぜ、これだけ待たされたのか」ということもなく、神様の摂理、タイミング、方法で生きています。それを宣言し、人々に伝える影響力もあります。兄弟たちから虐げられたことも、押しのける霊的な影響力があります。神様の摂理を知る人は人生に期待が起こります。どんなに挫折しても、神様の視野で見ることを祈ります。いや、神様そのものを信じます。そこから、神様の摂理が知らされます。と言うよりも、あらゆる状況の中で、神様と交わります、祈ります、御言葉を聞きます。そして、その中で兄弟たちの変化もあります。ユダの変えられた姿勢はヨセフの心を動かし、涙を流させ、神様の試練、テストを代合格させました。今日、神様の摂理を期待して、感謝し、賛美します。主の摂理を宣言する人になります。

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