坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 4月 22, 2013

神様は最良のものしか下さらない、と信じて祈っているか?

創世記47;2「彼は、兄弟のなかから5人を引き連れてパロに引き合わせた」ヨセフは、兄弟の中から5人の代表を連れてあいさつ、願い、をさせにいきます。ヨセフのリーダーシップが感じられます。4節「彼らはまたパロに言った、この地に寄留しようとして私たちはまいりました。~カナンの地はききんが激しく、~しもべどもの羊のために牧草がありませんので、~それでどうか、あなたのしもべどもをゴシェンの地に住まわせてください」彼らは具体的に求めます、具体的に地を、自分の働きを、世の権力者の前に伝えます、私はどうでしょうか?具体的に神様に祈り、願い、人々に必要を伝え、求めているでしょうか。期待していないから、自分の中に恐れがあるから、駄目かも、という恐れがあるから、もしくは、正しく求めていない姿勢に、恐れが来ます、正しく生きていない人生には、恐れがあります。しかし、彼らは大胆に求めました。
そこで、パロは6節「エジプトの地はあなたの前にある、もっともよい地にあなたの父と兄弟を住まわせない、彼らをゴシュンの地に住まわせなさい。もし彼らの中に力ある者がいたら、そのものを私の家畜の係長にしなさい」と言います。彼らを祝福する、認める神様の答えです、そして世の権力者からの祝福です、何と感謝なことでしょうか。しかも、力のある者がいれば、パロの家畜の係長にさえなれる、というのです。パロのリーダーシップと力あるものを採用するセンスのあるパロであることが、ヨセフの総理大臣抜擢からも、感じられます。私は、最良のものを受けることを期待して祈っているでしょうか?また、ヤコブはパロに挨拶し、祝福します(韓国語の聖書では、祝福の挨拶をしてさがった、とあります。日本語には無いですね)。権力者の前であろうが、クリスチャンは祝福の通り管です、恐れずに、祝福の権利を施行します。私たちは家族に、強大に、職場に、祝福をしているでしょうか?祈っているでしょうか。エジプトで新参者である彼らに最良のものが与えられました。しかも、忌み嫌われる家畜を飼うものとして、エジプトとも線引きをしながらも、。私たちは神様の最良の祝福を信じて祈っているでしょうか?ヨセフは最後に、家族を養い、兄弟を養う、箇所で今日のQTを締めくくります。ヨセフこそ、兄弟たちに復讐もせずに、愛し、祝福します。それは、傷や感情に左右されない、神様の最良のものを信じていきいぇいるひとの祝福の人生から、信仰、姿勢からでした。主にる最善を信じてよろこび、感謝していきます。

ラベル: