坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 8月 12, 2009

身の安全よりも、神様と同行する友を持っているか?

使徒行伝27:1-12
安全よりも、神様と同行する友を持っているか?
今日、イタリヤに向かうパウロと同行した人が匿名で出てきます。それは、1節と2節の「私たち」と言う言葉です。考えてみれば、パウロと共に苦労をしたのですから、人間的には名前が挙がってほめられたり、人からのご苦労様と言う言葉を聞きたい場面かもしれません。しかし、さりげなく「私たち」という複数形で書かれています。彼らは「医者ルカ」と「アリスタルコ」でした。果たして、私は「福音のために苦労を共にする」動労者を持っているのでしょうか。そのために、10-12節にあるように「人は安全や快適さ」を求めますが、その安全を捨てる心を持っているのでしょうか。そのような福音の動労者、名前もなく、栄光もない人を得ているのでしょうか。また、私がそのような人になっているのでしょうか。福音のために同労者となって、安全を捨てていきます。そのような友を得ていきます。